骨董品を買うには

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発信時間: 2014-03-21 09:37:15 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

掘り出し物探しに絶好の場所――北京の潘家園骨董市場

北京の潘家園骨董市場は中国最大の文物集散地、収蔵品市場と見られている。ここでは、景徳鎮の磁器、宜興の紫砂壷、天津楊柳青の年画、新疆ホータンの玉細工、雲南と貴州の民族服飾、それぞれの歴史的時期の骨董品、書籍、書、絵画やアンティーク調度品など、中国の民族風情と伝統色に富むものがあちこちで目に付く。

 



敷地面積4万8500平方メートルのこの市場には、3000ぐらいの店舗や露店がずらりと並んでおり、休日に、いつも見物客や買い物客でごったかえしている。めのうや玉細工、中国や外国の古銭、象牙細工、仏具、少数民族の装身具などの「小さな宝物」や、明・清時代の大きな花瓶、透かし彫りの窓や扉、アンティーク調度品などの「大きな宝物」はいうまでもなく、陝西省の影絵芝居の道具である「皮影」、泥でつくった彫塑のようなものだけでも、人々にめまいを感じさせるほどの魅力がある。店のあるじたちは全国各地からやってきた人たちであり、北京近くの天津や河北省から来たものもいれば、チベットや新彊などの遠隔地から来た人たちもいる。

 

 

これほどにぎわいをきわめた潘家園骨董市場は、その歴史を遡れば、最初は「鬼市」と呼ばれていたことはちょっと信じられないだろう。潘家園骨董市場の原型は、清朝末期や民国初期に出来上がった。社会が激しく揺れ動いた当時、落ちぶれた官僚や商人の家庭の子弟たちは、貧しい生活に甘んじることができなく、わが家に収蔵されている骨董をこっそりして持ち出し、闇市で売りさばいた。こうしたメンツ丸つぶれ行為を人に知られたくなかったので、彼らは午前3時頃から、提灯のあかりを借りてこそこそと取引をしていたのである。鬼と同じように太陽の光に晒されることを恐れたためか、こうした闇市は「鬼市」と呼ばれるようになった。また、「鬼市」では、盗品や持ち主のはっきりしない骨董品もよく姿を現し、大安値で売られたそうである。

 



 

現在、古今の宝物を集めたこの骨董市場は、国内のお客さんだけではなく、掘り出物にあずかろうとする外国人も引き付けており、「文化外交」の窓口とも呼ばれている。週末には、延べ約5万の人たちがここに足を運び、年間の売上高は1億元以上を超えるといわれている。アメリカのもと大統領のクリントン氏が訪中したとき、夫人と娘さんもこの骨董市場に見物に来たというエピソードさえある。

 

潘家園骨董市場の中を案内



 

 

潘家園骨董市場は、6つのエリアからなっている。

エリア1:市場の西側に位置する。大きな石の彫刻を商っているエリア。

エリア2:2階建ての店では、現代風の家具や伝統風の調度品を売っている。

エリア3:市場の中心部に位置する面積が最も大きなエ

リア。このエリアはさらに4つの部分に分かれている。

部分1:南西の位置にある。水墨画や書、玉やヒスイ製品が売られている。チップ:ここで売られている水墨画や書は、確かに手描きのものではあるが、大量に複製されたものであり、それほど高価なものではない。

部分2:北東の位置にある。ひとつなぎの玉、青銅器、陶磁器の花瓶や木製の小さな調度品が売られている。「文化大革命」関連グッズに興味がある人々は、ここでお気に入りのものにめぐり合えることもある。

部分3:南西に位置する。各少数民族の特色豊かな手作りの芸術品、装身具、服装などが売られている。ここでは、各少数民族の風情を存分に味わうことができる。「潘家園で触れられるチベット文化の粋ともいえるものは、チベットの地元の一つの村よりも多い」という言い方がさえあるのだ。

 

 

 

部分4:北西に位置する。陶磁器を集中的に販売しているエリアである。一つ注意しておかなければならないのは、ここで販売されているほとんどのものは、骨董品ではないことである。

エリア4:南側に位置する。ここでは、古本や往時の絵巻物などが売られている。

エリア5:東側に位置する。昔の芸術品や手工芸品が売られている。

エリア6:エリア3を北、南、東の三方を取り巻いているところ。このエリアには露店はなく、すべてこじんまりした店舗であり、高級の骨董品や高価な手工芸品が売られている。

 

 

琉璃厂

 

世界には多くの国が独特の文化区をもっている。パリのセーヌ川のほとり、東京の神田と同じように北京の瑠璃厰は新奇さに色どられた、東方の魅力に満ちた古い文化の街である。

 

琉璃厂

 

瑠璃厰が数百年前の小さな村から文化の街に発展したことは、一つの側面から見れば北京の発展の歴史を反映するものとも言える。北京は全国の政治、文化の中心として800年以上の歴史があり、瑠璃厰は中華民族のすぐれた文化の発展ぶりを集中的に反映するものである。瑠璃厰の狭い通りの両側には書店がすらりと並んでいる。そのうち印刷、発行も兼ねて扱っている書店もある。一軒一軒の骨董品店、書画店、眩しいほどの文化の宝――鼎、磁器、秦の兵馬佣、唐三彩、壁に掛けられた名家の書画、本棚にぎっしり詰まった古書などが人びとを引きつけ、立ち去るのにしのびない。大通りを歩くと、目に入るのは縦横の金字の扁額である。翁同龢の直筆の宝古斎、陸潤痒の直筆の慶雲堂、趙朴初氏の書である文盛斎など名家の揮毫がたくさんある。この濃厚な文化の雰囲気が知識人たちを引き付けるのは当然である。

 

 

1980年、国は改めて瑠璃厰文化街の修繕工事を行い、それを拡充した。新たにつくられた東西瑠璃厰の通りは既存のアーチ形の走行を保留し、両側にはお店が一軒一軒とずらりと並んでいて、建築の素朴さと典雅さが見てとれる。青いレンガ作りの建物は実によい雰囲気を醸し出していて、精巧で繊細な窓などの彫刻、模様の図案が人たちの目を楽しませてくれる。この古い文化街は古今の古本、文物書画、古い碑、拓本、歴代の金石、陶磁器、文房四宝といわれるものを扱っている。この街は中国民族文化の博物館であると言えよう。

 

琉璃厂

 

瑠璃厰の邃雅斎、来薫閣、松筠閣は図書を扱っているお店、尊古斎は銅器を扱っているお店、宝古斎、墨縁閣は名画を扱っているお店、慶雲堂は碑や帖を扱っているお店、栄宝斎は木版画を扱っているお店であり、いずれも国内、国外でよく知られている。

 

 

「中国網日本語版(チャイナネット)」 2014年3月21日