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japanese.china.org.cn | 24. 03. 2014 |
午後、北海北門でバスを降りる。北京の伝統的な人力三輪車に乗るのもいいだろう。車夫は純粋な北京語で什刹海あたりの胡同を紹介してくれる。だが、値段のかけあいが必要。一人でのんびり歩くのもいいものだ。西に向かって少し行って三座橋胡同に入り、古い目隠し壁を見ながらそぞろ歩くと前海の西街にでる。道の両側は古い胡同だ。さらに西へ行けば、柳蔭街に着く。ここには北京で最もよく保存された恭王府があり、一見の価値がある。この北京でも比類のない庭園は大金持ちの和珅(乾隆15年[1750]~嘉慶4年[1799])の邸宅だったが、咸豊(在位1851~1862)年間に恭親王の奕欣に譲られ、恭王府と名付けられた。それを見学してから、三座橋胡同に戻り、羊房胡同に沿って西海に来る。さらに橋を渡って後海の北側に行く。そこには宋慶齢の故居がある。さらに東へ行けば、望海楼、大蔵竜華寺、広化寺など園林と古建築が見える。これらの所を見学し終わったら、もう日が西の山に沈むころになる。この時間に、もしちょうど銀錠橋に着くと、一番運がよい。橋の上に佇み、西に向かって赤い日が西の山の後ろに落ちる光景を見ていると、幸せな気分が湧いてくるだろう。まるでこの什刹海を漂っているような感じだ。これが北京八景の一つ「銀錠観山(銀錠橋で山を見る)」である。ほどなく夜のとばりが降り、美しい街灯がともり、人出も多くなる。そうだ、什刹海の夜が始まったのだ。
十年前、北京の三里屯は次第に中国でも有名な酒場の街となったが、これは、近くにある大使館区の多くの外国人がその発展を大いに推し進めたといえよう。しかし、2003年から地元の若い人々は什刹海あたりのおしゃれな酒場を好むようになった。酒場は前海の西辺の荷花市場から始まり、その後次第に銀錠橋を越えて西海の南岸に広がっていった。こうして煙袋斜街は瞬く間に有名になり、現在の銀錠橋を中心とした湖面や周りの胡同へ発展していった。さらに鼓楼街を隔てた南鑼鼓巷あたりも呼びかけに答えるように酒場やコーヒー・ショップが発展し、北京の新しい酒場産業地区となったのだ。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2014年3月24日