1935年生まれの楊洪璋さん(男)は、北京物資学院の元教員だ。楊さんは河北省の貧困地域を気にかけており、現地の教育に14年間重視した。楊さんが建設した「愛の支援ステーション」は、学校や生徒から学習用品を回収し、山間部の児童に北京で教育を受ける機会を与えている。
1941年生まれの金九皋さん(男)は、望京街道に住む元技術者だ。金さんは節水型トイレ「久節」を発明し、ボランディアで団地内の家庭に提供した。金さんは10数年をかけて1万人以上のボランティアを教育し、節水の理念を全国にもたらした。
趙一家の五人兄弟は、北京市密雲県十里堡に暮らしている。彼らは隣人の楊一家の老夫妻を19年間支え続けた。彼らは二人のために新居を建て、衣食住にかかる費用や医療費を負担した。彼らはさらに老夫妻の話し相手になってやった。
1958年生まれの王自殿さん(男)は、門頭溝大台郵政所の配達員だ。王さんは山奥で17年間働き、12万キロを歩き300万部の新聞、16万件の郵便物を届け、今でも誤配送ゼロの記録を保持している。
1989年生まれの黄迪さん(女)は、北京銀行前門支店の銀行員だ。黄さんが7歳の時に母ががんにかかり、12歳の時に父が殉職した。黄さんは家で5人の高齢者を支えながら、学業を続けている。黄さんは初任給を使い、アパート全体の高齢者のために卵を買い、北京を感動させた。
1990年生まれの張佳キン(キンは金3つ)さん(男)は、北京郵電大学で博士課程に在籍している。張さんは高齢者のパソコン教室を開き、青少年の公益事業に取り組み、中国の夢を実践している。
1954年生まれの王栄貴さん(男)は、北京市房山区の団地で働いている。王さんは20年に渡り、団地内の1000人以上の葬儀を無料で取り仕切り、恨み言を一つも漏らさなかった。王さんは死者の家族にも気を配り、「公共の孝行息子」と称された。
1946年生まれの陳敏華さん(女)は、北京腫瘍病院超音波科の首席専門家だ。陳さんが診療した1200人以上の中末期肝臓がんの患者は、5年後の生存率が47%に達し、世界トップ水準となった。陳さんは重い心臓病を患っているが、今でもチームを率い社会に貢献し続けている。
中国網日本語版(チャイナネット)」2014年7月30日